韓国映画「国際市場で逢いましょう」は、見た後
「いい映画を見たなあ」
と深々と感慨にふけることができた映画です。
見た後に、こういう余韻にひたれる映画は、なかなか出会えません。
激動の時代を、家族への想いを支えに行き抜いた、1人の平凡な男性が主人公です。
一見すると平凡な男性なんですが、その人生は波乱万丈。
平和な時代に生まれていれば、家族に囲まれて、ただ幸せに過ごしていただろうなという男性です。
その男性が時代に翻弄されて、家族を守るために、過酷な状況で奮闘するという。
本当によい映画でした。
あざとい感動作品ではありません。
果敢に生きる主人公を、冷静な視線で、それはさりげなく描きます。
例えばベトナム戦争も出てきますが、ハリウッド映画「プラトーン」がリアルで重々しく、戦争の悲惨をひしひしと感じさせるものだったのに対して、「国際市場で逢いましょう」に出てくるベトナム戦争は、逼迫した状況を描きながらも、そこまで悲惨さを感じさせないように描いています。
(同じベトナム戦争でも、「プラトーン」と「国際市場で逢いましょう」では状況が違うという点もありますが)
韓国映画の歴代観客動員数4位という、記録もあるくらいヒットしたようです。
それも見れば納得。
ここから少しネタバレをふくみます。
朝鮮戦争の混乱の中、子供時代のドクスは家族と一緒に北朝鮮から脱出しようとしているさなか、沖に留まった大型船によじ登っている途中で、幼い妹が落ちてしまいます。
ドクスの手には、その幼い妹のちぎれた袖が残ります。
大声で妹を呼びますが妹の姿は見つからず、ドクスの父親は長男のドクスに家族を託し、自分はドクスの妹を探すために残ります。
敵が迫ってきて、あちこちで砲弾がさく裂し、家が燃えてる中で大勢の人たちが逃げ惑うシーンには、胸が痛みます。
今でも世界では、あちこちで内戦や紛争が起きていて、どこかでこういうことが起きているんだろうなあと思うと、一部の人間の横暴でこういうことが起きることへの腹立ちを感じます。
戦争を企てた人たちは、安全な場所で指示を出すだけで、犠牲になるのは大勢の一般市民という、この理不尽。
何度も繰り返された戦争の傷跡は、その後の長期にわたって、一般市民を悲しませ、苦しませるということ。
納得いきません。
逃げおおせたドクスと母親、幼い兄妹たちは、釜山広域市にある国際市場にたどり着きます。
ここで父親の妹が経営するお店に居候しながら、ドクスは成長します。
ここでビックリするのが、命からがら逃げてきたドクス親子に、父親の妹は泣きながら、なぜ兄を置いて逃げてきた!とドクスの母親を責めるんです。
気持ちはわからないでもないんですが。
もし日本映画だったら、ここからドクス親子はずっと父親の妹に邪険にされながら生活することになると思うのですが、そこは韓国と日本という文化の違いでしょうか。
父親の妹の連れあい(こいつが飲んだくれで働かないヒモみたいなやつ)には邪険にされるものの、父親の妹には特に邪険にされることもなく、家族として扱われます。
ここ、ちょっと意外でした。
日本から見るとひどいこと言うなあ!と思うようなことでも、韓国では思ったことははっきり言うだけってことなのかも。
韓国ドラマを見ていると、家族をとても大切にする文化のようなので、父親の妹も言いたいことは言うけど、ドクスたちを家族として情を持って迎えたという感じ。
ドクスは家長として自分は進学をあきらめ、弟を大学に行かせるためにドイツへ炭鉱作業員として出稼ぎに行きますが、ここでの仕事は命がけ。
なんとか生き延びて韓国に帰国すると、今度は叔母が亡くなりヒモ状態の叔父が店を売ろうとするのを買い取るために、そして成長した妹が豪華な結婚式がしたいと言い出したために、ドクスは今度はベトナム戦争に技術兵として行くことにします。
ここでも、妹のわがままにびっくり!
叔母と同じで、言いたいことは言うってことか。
またドクスもそれを叱るわけでもなく、妻の反対を押し切ってベトナムへ行っちゃいます。
そしてここでも、命がけ。
ドクス、わりに淡々としているというか、そういう命がけなところでもめげないというか。
見てるとあっさりと行くんですよね。
そういう過酷なところに。
でも映画の最後で、ドクスは決して平気なわけじゃなくて、かなり苦しい思い、つらい思いをしていたというのがわかります。
そして、なぜ、そこまで頑張っていたのかが、映画の終盤でわかります。
ここで涙腺崩壊。
でもあたたかい、心地よい涙です。
中年になったドクスが妻に
「つらい時代に生まれこの苦しみを味わったのが、子供たちじゃなく僕たちで本当によかった」
と言うセリフがあります。
月日がたって、年老いたドクスのもとに、ドクスの母親の法事で大勢の家族たちが集まってきます。
孫が歌や踊りを見せ、大人たちはわいわいと楽しんでいる中、ドクスはそっと一人抜け出して父親の写真に語り掛けます。
ここでの、戦争を知らない世代と、ドクスとの世代のギャップ。
子供や孫たちと、わいわい騒げないドクスの心のうち。
でもこのにぎやかな家族は、ドクスが苦労して守ってきた結果。
すべての苦労をドクスが引き受けたから、子供や孫たちはくったくなくわいわいと楽しく過ごせる。
でもドクスは、そこに溶け込めなくて孤独も漂って、という。
この矛盾。
このシーンを見るために、ここまでのストーリーがあったと言ってもいいかもしれません。
平凡に見えるからといって、平凡な人生を歩んできたとは限らない。
アラフィフ世代の私だと、祖父母の年代の人が戦争体験者で、おだやかで平凡に見える人でも、戦争で過酷な経験をしてきた人が少なからずいました。
そんなにつらい経験をしていても、それを胸にかかえて、すさむことなく日々の生活を送っていることだけでも尊敬します。
はたから見たらおだやかに見えても、心のうちはどうだろうと思うと、胸が痛みます。
戦争だけに限らず、今、日常で接している人の中にも、おだやかで平凡に見えても、何かつらい経験や体験をしている人がいるかもしれないとも思いました。
韓国って、文化の違いを感じることもありますが、家族を大切にするところなど、昔の日本の文化に似ているところもあって、なつかしさのようなものも感じます。
韓国ドラマにはまってますが、韓国映画もいいです。
「パラサイト」もアカデミー賞を取ったし。
まだ見てないけど。
見てみたいです。
U-NEXTで見ましたも見ることができるようです。
(本ページの情報は2020年3月時点のものです。
最新の配信状況は U-NEXTサイトにてご確認ください)