映画「ワンダー君は太陽」は明るく元気な物語で癒される映画でした!

映画「ワンダー 君は太陽」を見ました。

遺伝子の疾患で、人はまったく違う顔を持って生まれた10歳の少年、オギーが主人公。

この映画、いい映画だろうなあと思いつつ、なかなか見れないでいました。

歳を重ねていろいろ経験して、日々の生活にくたびれ気味だと、どうしても気分が明るくなるもの、疲れていてもぼーっと見ていても面白いものといった感じのものしか見なくなってきていました。

「ワンダー 君は太陽」も、見ごたえのある映画だろうけど、いじめや悲しい場面、つらい思いをしているシーンも見なきゃいけないだろうし、そういうのを見るのはしんどいなあと思っていたのですが

違いました!

疲れているときにこそ、見るべき映画だと思います。

明るく元気な気分になりたいときにこそ、おすすめしたい映画です。

ちなみに私はAmazonプライムで見ました。

(2020年3月現在の情報です。

詳しくは公式ホームページをご確認ください)

Amazonプライムの「ワンダー 君は太陽」はこちら。

「ワンダー 君は太陽」の主人公、オギーはその変わった外見から、いじめられることもあるし、差別されることもあります。

人は彼を見て、ぎょっとして目をそらします。

オギー自身もそれは感じています。

10歳までは自宅で勉強していましたが、両親は悩みながらもオギーの今後のことを思って、思い切って学校へ通わせることにします。

そこからこの映画はスタートします。

もちろん、オギーは学校でも浮きます。

オギーは、なかなかクラスに溶け込むことができません。

オギーをいじめたり、悪く言うクラスメイトもいます。

でも、この映画がうまいなあと思うのは、そういう見ていて胸が痛むシーンはさらっと描いていること。

だから見ていて、そんなにつらくならない。

そして、やっぱりいるのです!心ある人間が。

大多数がオギーを遠巻きにしている中で、オギーに惹かれて近寄ってきて、友人になる子供が出てきます。

そして徐々に、他のクラスメイトたちもオギーの魅力にひかれていく過程の描き方が、本当にいいなあと思いました。

オギーの、人と違った顔ですが、すぐに可愛く見えてきます。

オギーとクラスメイトたちがぶつかりあいながら、言いたいことを言いあいながら、お互いの距離を縮めていく過程がよいです。

障害を持っている少年を必要以上に美しく描いて、お涙ちょうだいって感じになっていないのにも好感が持てました。

そして美しいだけのストーリーではなく、どうしようもない大人も出てきて、現実味もあります。

もう、こういう、どうしようもない大人って、職場にもいたりするけど、本当にどうしようもない(笑)

映画では都合よく、こういうどうしようもない大人が改心したりしますが、現実ではそうそう改心することはない。

現実に出会う、どうしようもない大人って、ずーっとどうしようもないままだったりします。

この映画でも、どうしようもない大人(ジュリアンの両親)は、どうしようもないまま。

ここでちょっといじめっ子のジュリアンにも同情心が沸いてきます。

こんな両親持って、後々、進学や結婚でも苦労するだろうなあ、と。

 

生まれつき、人と違う顔と聞くと、映画「エレファントマン」を思い出します。

映画「エレファントマン」は実在の人物をモデルとしていて、19世紀のロンドンで、生まれつき外見が異形だったために見世物小屋で見世物にされていたジョン・メリックが主人公。

医師のフレデリック・トリーブスが彼を助け出し、世話をするようになると、知能は正常で聖書を熱心に読み、芸術を愛する、純真な青年だということがわかります。

ジョン・メリックも、しだいにまわりの人に心を開いていくという、美しいストーリーの映画です。

でも19世紀という、まだいろんな偏見や無知がはびこる社会の中で、しかも最初は見世物小屋で見世物にされているというところからのスタート。

「エレファントマン」は美しい物語ながら、心が痛むシーンも多く、見ごたえのある映画でしたが、とても心を揺さぶられる映画でした。

とてもいい映画だったし、若い時にこの映画を見ておいてよかったと思います。

私のその後のものの見方や、人間関係についても、よい影響を受けていると思います。

ただ、年齢を重ねて、日々、いろんなことでくたびれている昨今は、気軽に見れる、気持ちが明るくなるような映画を選びがちです。

だからこの「ワンダー 君は太陽」も、なんとなく見ごたえはあるだろうし、見るべき映画なのだろうけど、気力が充実しているときじゃないと、しんどいかなあと思っていました。

でも誤解でした!

疲れているときにこそ、見るべき映画。

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学生時代、ときどき一緒に遊ぶ友人がいたのですが、ある日、遊びに行こうと誘ったら

「今日はお兄ちゃんが施設から帰ってくる日やねん。

お兄ちゃんは食事でもなんでも私の真似をしてやるから、私は家におらんとあかんねん」

とさらっと言われました。

それまで彼女に障害を持った兄弟がいるとは知らなかったし、そんな日常も知りませんでした。

障害を持った家族がいるということは、はたから見ると驚くことだけど、それを日常として送っている人がいるんだということを、おばかさんだった私はそのときはじめて知ったというか。

この映画でも、オギーの姉ヴィアの悩みが描かれています。

手術を繰り返すオギーの世話のために、両親の注意がどうしてもオギーに集中することはしかたがないことと理解していても、ヴィアはさみしさを感じています。

親友が急に冷たくなるという悩みに直面したヴィアは、両親に心配をかけまいと1人で思い悩みます。

でもそんなヴィアもオギーを愛していて、オギーがいじめられたり、落ち込んでいれば励まします。

そしてオギーを励ますことで、ヴィア自身も癒されているんだなあと思いました。

この「ワンダー 君は太陽」は悲しいお話や、つらいお話ではないです。

見た後、明るく元気な気持ちになれます。

癒されます。

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オギーとヴィアのお母さん役は、ジュリア・ロバーツ。

私たちアラフィフ世代にとっては、お馴染みの人。

ジュリア・ロバーツといえば的な、リチャード・ギアと共演した映画「プリティウーマン」

若くてコギャル的なジュリア・ロバーツと、大金持ちでイケメンの李チャート・ギアの恋物語です。

若い女子の「玉の輿願望」を強烈に刺激する映画で、当時大ヒットしました。

あのジュリア・ロバーツもお母さん役かあ。

でも相変わらずきれいだけど。

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私たちは障害を持った人に、不慣れなんだと思います。

まだまだ障害を持った人が、普通に町に出てこれる社会ではないので、私たちは日常生活で障害を持った人と一緒に過ごす機会があまりありません。

障害を持った人に慣れていないから、出会ったときに、ぎょっとしたり、とまどったり、どう接していいかわかならなかったり、必要以上に同情したり、必要以上に排除したり、という態度を取ってしまうのだと思います。

オギーのクラスメイトたちのように、障害を持った人と一緒に過ごしていれば、障害は1つの個性くらいの感覚となって、普通に接することができるようになるんじゃないかと思います。

私は学生時代「ノーマライゼーション」について学びましたが、これはマイノリティ(少数派)を排除してマジョリティ(多数派)だけが居心地のいい社会はもろい社会、マイノリティ(少数派)などの多様性も受け入れる社会が、実はマジョリティにとっても生きやすい社会となるという概念でした。

LGBTや国籍、出自による差別、男女の性差別など、まだ差別は完全になくなってはいませんが、昔に比べれば少しずつ改善されているとは思います。

でもまだ生きづらさをかかえ、ひきこもったり、自殺したりする人もいます。

社会が、いろんな生き方をよしとし、さまざまな考え方、生き方を容認するような、多様性を認める社会になれば、生きづらさも減ってくるのではないかと思います。

オギーのような少年が、普通に学校に通えて、普通に町を歩いているような社会は、誰でも受け入れれる、誰でも生きやすい社会。

いい学校に入れなくても、いい会社に入れなくても(マッキンゼーの報告によると、これからはグローバル化がさらに進んで、小回りのきかない大きな企業ほど倒産のリスクが増すのだとか)自分の行きたいように生きられる社会。

そんな社会にするために、まずは私たちが、人と違うからという理由だけでのけ者にしないことが第一歩だと思います。

「ワンダー 君は太陽」見てよかったし、元気になりたいときに、また見返したい映画です。

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