中世ヨーロッパの格調高い復讐劇 悲しい恋愛を描いた映画「嵐が丘」

「嵐が丘(Wuthering Heights)」は1847年、エミリー・ブロンテ(Emily Brontë)が29歳のときに発表した小説。

当時はあまり評判とならず、姉のシャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)が書いた「ジェーン・エア(Jane Eyre)」のほうに注目が集まっていましたが、エミリー・ブロンテの没後に再評価されるようになりました。

「世界の三大悲劇」「世界の十大小説のひとつ」などと言われています。

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私は若いころに、ロングドレスを着ている時代のヨーロッパやアメリカに憧れた時期があって(夢多き少女だったのです(笑))、そのころに、「ジェーン・エア」とあわせてこの「嵐が丘」も読みました。

この嵐が丘は何度か映画化されていて、1939年の映画化では、イギリスの名優ローレンス・オリヴィエがアメリカ映画に出た最初ということでも注目されたようです。

今回取り上げるのは、5度目の映画化となった1992年版。

フランスの女優ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche)を、イギリスに招いて映画化したバージョン。

音楽は、我らが坂本龍一教授が担当。

 

私はAmazonプライムで見ました。

(2020年3月の時点での情報です。

詳しくは公式サイトをご確認ください)

Amazonプライムの「嵐が丘」はこちら。

 

その他にも、シネイド・オイオナー(Sinéad O’Connor)が映画の冒頭に作者のエミリー・ブロンテ役で登場する、うれしいサプライズもありました。

(かつら?かぶっているのか、毛が普通にあったからシネイド・オイオナーと言われないとわかりませんでしたが)

シネイド・オイオナー(Sinéad O’Connor)といえば、1990年代にプリンスの「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー(Nothing Compares 2 U)」をカヴァーして大ヒットさせました。

私は「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー(Nothing Compares 2 U)」に関しては、オリジナルのプリンスのバージョンよりシネイド・オイオナー(Sinéad O’Connor)のバージョンのほうが好きです。

美人な顔立ちに、ほとんど坊主に近いスキンヘッドとハイヒールという、かっこいい姉御って感じでした。

いかしてて、とんがってて、いろいろとやらかしてはります。

テレビでのパフォーマンス中に、ローマ法王の写真を破いたり(聖職者による性的虐待への抗議)、イスラム教に改修したり、家族と絶縁したり、自殺未遂したり。

今はどうなんでしょう。

落ち着いてはるといいなあ。

だって好きだったんだもの。

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さてこの1992年版の「嵐が丘」について、語ってみます。

原作のイメージを裏切ることなく、ほぼ原作のイメージどおりだと思います。

風景も、城も、城の中も、イメージどおり。

ヒースクリフは、原作よりちょっときれい目だったかも。

原作だと、もっと粗野で野性的な雰囲気がしました。

でも、許容範囲です。

キャシーを演じたジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche)は、大好きな女優さんの1人。

ジョニー・ディップ(Johnny Depp)と共演した「ショコラ(Chocolat)」を見て、いっぺんでファンになりました。

大人の女性でありながら、ちょっとコケティッシュな感じで、茶目っ気が感じられて。

とても好きな女優さんです。

「嵐が丘」の、きままでわがままなキャシーにぴったり。

でも正直言うと、ジュリエット・ビノシュのキャシーは、ちょっと物分かりがよすぎる気もしました。

原作のキャシーは、もっと考えなしで、感情や気分で行動してしまう、浅はかさも感じていたので。

ジュリエット・ビノシュのキャシーは、少し分別が感じられて、そこは原作と違うかなあと。

でも許容範囲です。

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そしてこの物語の見どころは、何と言っても、ヒースクリフの復讐心。

めらめらと粗暴に燃え上がる復讐心!

韓国ドラマのどろどろの復讐劇なんかが子供じみて見えるくらい、筋金入りの復讐心。

「末代まで祟ってやるぜ!」

ってな感じで、キャシー憎けりゃ娘も憎い!(←まあ最後に変化するわけですが)ってな感じで、あっちとこっちの子供にまで復讐するのですが、そのうちの1人には相当ひどい仕打ちをしているのですが、それでも子供には父親のように思われてしまうという矛盾。

その子供の実の父親が亡くなったとき、ヒースクリフは幼いその子に

「嵐の中で、幼い木がどうねじ曲がるかな?」

なんて宣戦布告して、そうとういじめたおす気でいるわけです。

でも大人になったその子が、キャシーの娘に言うんです。

「俺には父親だ」

ヒースクリフのことを、父親だと言い切っているわけです。

ヒースクリフも根っからの悪人というわけではなく、キャシーへの悲恋からの復讐心なので、悪人になりきれず、と言った感じだったと思います。

「嵐が丘」はこのあたりの、グレーゾーンというか、愛しているけど愛せない、憎みたいけど憎み切れないという、あいまいな気持ちや、揺れ動く気持ちを描くのがうまいなあと思います。

気持ちって、わりきれるものじゃないし。

はっきり自分で理解できるものでもないし。

このあいまいさを、うまくとらえている感じです。

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嵐が丘と言えば、ケイト・ブッシュのこの曲もありました。

ずばり「嵐が丘(Wuthering Heights)」という曲。

「恋のから騒ぎ」のテーマ曲にもなってました。

これは幽霊になったキャシーが、ヒースクリフに呼びかけるという内容の曲。

なんで「恋のから騒ぎ」に採用されたのか、不思議。

でもあの番組には不思議ちゃんがよく出ていたから、この浮遊感ただよう摩訶不思議な曲調が、フィットしたんでしょうか。