映画「わが母の記」日常生活にひそむ悲しさとおかしみと感動

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昭和の文豪、井上靖が自身と母をモデルにした小説を映画化した「わが母の記」

認知症が進んでいく母と、文豪とその家族の日常を描いた物語です。

昨今増えている気がする、意表をつくようなストーリーの映画もいいですが、こういう日本映画もやっぱりいいです。

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簡単に言ってしまうと、ずっと母に捨てられたと思い込んでいる息子が、母が認知症になった後、母の本当の気持ちを知るというお話なのですが、そこに文豪の娘たちの成長と、文豪と家族の関係の変化も描かれています。

主人公の洪作は最新作も売れていて、小説家としても順風満帆。

3人の娘たちと妻とともにお手伝いさんも抱え、立派な家に住んでよい暮らしをしています。

そんな暮らしでも洪作は長年

「母に捨てられた」

という思いがしこりとなっていて、母ともわだかまりがあるようです。

なのに妹たちからは

「兄さんは得をした」

と言われ自分の気持ちを理解してもらえず、そこがまた歯がゆいと思っているようです。

冒頭で病に伏せる夫をきちんとした身なりで看病する樹木希林さん演じる母が、認知症となり年月を経るにつれて、だんだん息子や娘たちのことも分からなくなっていきます。

以下はちょっとネタバレかも。ご注意ください。

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だいぶ認知症が進んだ母は、目の前にいる息子や娘たちが誰かわからなくなります。

そんな中で、母は洪作が子供のころに書いた詩を暗唱しだします。

きっと離れて過ごす息子を思って、その詩を何度も読んで覚えたのでしょう。

その詩に出てくる

「お母さん」

がたまらなかったんだろうなあと思いました。

目の前にいる息子や娘たちが誰かわからなくなっても、息子への思いは忘れなかったという、母の愛。

息子への想いは忘れていませんでした。

当然、洪作も号泣。

母とのわだかまりが解けたのが、母が認知症になってからという悲しさ。

でもわだかまりが解けてよかったという喜び。

ここでその2つが、ごちゃまぜになりました。

それから子供時代、自分だけ置いていかれて捨てられたと思っていた洪作に、妻が真相を告げるシーン。

妻は知っていたけど、若いころの洪作は聞く耳を持たなかったから、ずっと言わなかったんだと。

知っとんたんかいっ!

とツッコミ入れときました。

映画や史実と関係なく、アラフィフ女としては、妻の思惑をしばし妄想。

(妻、夫になんか恨みあったんやろか。。。。

夫に何かムカついとったんやろか。。。。

いや、姑のことが嫌いやからか?)

いえ、妻はできた人なので、そんなことは考えてないと思います。

あくまで私の妄想です(笑)

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それから古美術商という妹の桑子、やってくれます。

好きです(笑)

帰ってくるたびに実家の古美術を

「これもらうわね」

と持ち帰ります。

こういうちゃっかりした親戚、1人はいそう(笑)

そしてお手伝いさんに一度は

「それはだめです」

と止められた小さな置物を、後日、他の家族が立ち話している後ろで、すっと持ち去っていきます。

見逃しそうなシーンですが、日常生活にひそむおかしみ、みたいなものを描いていて好きなシーンです。

自分がやられたら、腹立つけど(笑)

認知症になった母も憎たらしいことばかり言うけど、憎めない(笑)

家族がぼやくとおり、ボケたふりして言ってるんじゃないかと勘繰りなくなるくらい、タイミングよくズバリと痛いところを突いてきます。

ボケたふりして言いたいこと言うっていうのも家族だとたまらないかもしれないけど、見ている分にはおかしいです。

日常生活の中にひそむ、こういったおかしみみたいなのがちょこちょこあって好きでした。

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文豪は子供時代、血のつながらないおばあさんと土蔵の2階で暮らしていた、というくだりでは

「横溝正史の世界か⁈」

と思いましたが、特にそういう世界にはなりませんでした(笑)

昔の旧家なら、そんなに不自然ではないのかも。

実際に原作者の井上靖さんも、戸籍上の祖母(実際には曾祖父のお妾さん)に育てられたそうです。

映画の中でも、ちらっとその複雑な子供時代が語られて興味深かったです。