「ギフト 僕がきみに残せるもの」は日々を大切にしたくなる映画

映画「ギフト 僕きみに残せるもの」は、元アメフト選手で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたグリーソンのドキュメンタリー映画。

病気の診断と同時期に妻ミシェルが妊娠したので、声を失う前に、生まれてくる我が子に残すために、グリーソンはビデオダイアリーを取り続けることにします。

このグリーソンという人。

ハリケーン「カトリーナ」で壊滅的な被害を受けた後のニューオリンズで、チームを劇的な勝利へと導いたアメフト選手。

ニューオリンズでは、有名人のようです。

屈強な肉体を持ち、命知らずの強気なプレイをしていたグリーソン。

そのグリーソンの肉体が、病でだんだん弱っていくさまをカメラは記録します。

でもこの映画、不思議と悲しみや痛ましさ、せつなさよりも、勇気や愛情、弱さを受け入れるやさしさ、あたたかさ、などのほうが心に残ります。

だから見た後、気持ちは暗くならない。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を抱えた、つらい悲しい体験を描いた映画というより、やっぱりアメフト選手だけあって、病と向き合うというか、彼なりに病と前進しようとする姿勢に、見ていて元気をもらえます。

一日、一日を生きていることが、いとおしくなる映画でした。

 

ちなみに私はAmazonプライムで見ました。

(2020年3月現在の情報です。

詳しくは公式ホームページでご確認ください)

「感動もの」「泣ける」「ニューマンドラマ」とか、そういうありきたりの言葉では言い表すことができない映画です。

病気に向き合うリアルな姿勢と生活。

生きているって、それだけですごいことなんだと思ってしまいました。

ここから、少しネタバレを含みます。

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屈強なアメフト選手だったグリーソンが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)でだんだん弱っていく姿は胸が痛みます。

でもここで救われるのが、無邪気な彼の幼い息子の存在。

小さな男の子にとって、パパはパパ。

息子が立って歩くころには、グリーソンは車いす生活になっています。

グリーソンは他の父親のように、息子を肩車してやったり、抱き上げてやったりということはできませんが、息子の乗ったボードをひもでつないで車いすで引いてやって遊んであげます。

グリーソンは、病気だからとあきらめてしまうことなく、自分のやりかたで、自分にできる方法で子供と遊んであげるわけです。

この幼い息子の無邪気な姿が、たびたびはさみこまれます。

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きれいごとや、おなみだ頂戴の映画ではありません。

グリーソンと、妻ミッシェルのありのままの姿が映し出されます。

前向きになりながらも、ときに病状の進行に落ち込み、将来を悲観し、涙を流すグリーソンも映し出されます。

愛する夫の世話が、日に日に過酷になっていって、疲労していくミッシェルの姿もありのままです。

グリーソンとミッシェルの言い争い、ミッシェルが疲れ切っているようすなど、負の面もありのままです。

グリーソンの前向きに生きる姿勢は美しい。

でも、実際の生活は美しいだけではなくて、負の面もある。

負の面もあってこその、美しさじゃないかとも思いました。

 

病状が進んだグリーソンは、やがて自力で呼吸することも難しくなり、気管を切開して人口呼吸器を接続します。

この映画を見て初めて知ったのですが、この人工呼吸器をつけるには、かなりの費用とケアの負担があるため、95%のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者は気管の切開を希望しないのだとか。

ということは、95%のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者は、生きることをあきらめざるおえない、または死を選ぶということでしょうか。

確かに「ギフト 僕きみに残せるもの」を見ていると、ミシェルはグリーソンの介護にかかりきりになるし、経済的負担と介護の負担はかなりのものだと思います。

でもお金がないと、生きられないなんて。

そして、介護するほうに、尋常でない負担がかかるなんて。

そこは理不尽というか、納得できないというか。

お金が人の命を左右するのか。

介護する家族の努力と理解、犠牲がないと生きられないのか。

もしかしたら、もう本人も疲れ果てて、そして家族も疲れはてて、人工呼吸器をつけてまで生きるということに、そこまでして生きようとは思わなくなるのか。

ここで、同じくALS(筋萎縮性側索硬化症)で、長年、人工呼吸器を使用しているホーキンズ博士が言った

「生きているかぎり希望はある」

という言葉が、浮かびます。

「生きているかぎり希望はある」

という言葉と、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の95%は人工呼吸器を使用しない(ということは自力で呼吸できないのだから、生きるのをあきらめるということかと思います)という事実。

ここは、本当にやりきれない気持ちになります。

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グリーソンは人工呼吸器を使用することによって、声を失います。

そのため、視線で言葉を、合成音によって発することができる機器を使用するようになります。

ところがこの音声合成機器、当時は保険が適用されませんでした。

グリーソンは、この音声合成機器に保険が適用されるよう活動をはじめ、「スティーブ・グリーソン法」を設立させます。

そしてその後は、その活動のために家族と一緒に過ごす時間をさけなかったので、また家族と一緒に過ごすことを優先していきます。

自分のことだけでせいいっぱいでもおかしくないのに、他の同じ境遇の人たちのために活動するグリーソン。

すごすぎ。

そこが、アメフトで培った強い精神力のたまものかともとも思います。

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生きてることがいとおしくなりました。

ぶざまでも、ときに愚痴って泣いても、喧嘩してもいいじゃないか、と思えた映画でした。

「生きているかぎり希望はある」

このホーキンズ博士の言葉が本当なら、どんな姿でも、どんな状況でも、生きていなくちゃいけないのかなあと思ったりしました。

星野源氏の曲に「くだらないの中に」という曲があります。

日々の中の、ささいなこと、でも生きていくうえで必要なことを歌っているような歌です。

「希望がないと不便だよな」

という歌詞があります。

確かに、希望がないと不便。

希望って、夜道の街灯みたいな感じかも。

とにかく、どんな日々にも、希望を見つけて生きていくのがいいのかも、と思ったりしました。

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