とにかく自分の気持ちに忠実に、突き進んでしまうスカーレット。
「風と共に去りぬ」はレット・バトラーの魅力は言うまでもなく(あんなにセクシーかっこよくって、激動の時代も生き抜く才覚のある男が、自分にぞっこんなんて羨ましいぞ、スカーレット)スカーレットという人物なくては、成立しなかった映画。
何度も見たのに、また見てしまう映画でもあります。
これ見ると、強い女性になれる気がします。
(すぐ忘れるけど(笑))
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「風と共に去りぬ」のスカーレットは嫌な女なのに憎めないのはなぜ?
「風と共に去りぬ」のスカーレットについて、勝手に、独断と偏見で、検証していきたいと思います(笑)
その前に、「風と共に去りぬ」について。
原作はマーガレット・ミッチェルが生涯で唯一書いた小説
映画「風と共に去りぬ(Gone With the Wind)」は、1936年に発表されたマーガレット・ミッチェル(Margaret Mitchell)が書いた小説が原作。
マーガレット・ミッチェルはこの「風と共に去りぬ」の執筆に10年近い歳月をかけて、ピューリッツァー賞も受賞しましたが、発表した小説はこの「風と共に去りぬ」のみ。
これはマーガレット・ミッチェルが病弱だったからという説や、「風と共に去りぬ」がヒットし過ぎて海賊版やパロディー版などが出てきてその対応に追われ創作意欲をなくしたという説など、いろいろ言われています。
まあ、2作目は1作目を超え作品を期待されるだろうし、10年かけて書いた「風と共に去りぬ」を超える作品を書こうと思っただけで
「これ以上は無理」
と思っちゃっても仕方ないようにも思います。
アフリカ系アメリカ人からは批判されている映画
「風と共に去りぬ」は何度も見たし、大好きな映画の1つですが
「好きな映画です!」
と大ぴらには言いにくい背景もあります。
それは「風と共に去りぬ」が、南北戦争の時代の白人から描かれた作品なので、アフリカ系アメリカ人からはたびたび
「奴隷制度を肯定している」
と批判を浴びているから。
主人公のスカーレットは父親が農場主なので、アフリカ系の小作人やメイドを多数かかえており、若いスカーレットが年配の小作人やアフリカ系の自分のばあやに対して、普通に命令したり偉そうな態度をとったりします。
また南北戦争が終わり奴隷が解放された後も、スカーレットの実家の屋敷に残ったアフリカ系アメリカ人たちを美化して、出て行った小作人たちを非難するようなシーンもありました。
白人至上主義の男たちも出てきますが、それが肯定的に描かれているということも批判の対象になっています。
アフリカ系アメリカ人の人たちから見れば、不快な映画かもしれません。
「風と共に去りぬ」ファンとしては、映画や小説の制作当時は公認されていたとはいえ、映画の中にそういった差別が存在していることは残念でたまりません。
長さを感じさせないおもしろさ
「風と共に去りぬ」は原作も長いお話ですが、映画も長く全部で4時間弱の上映時間。
テレビの再放送だと、間にインターバルをはさむことが多いです。
でも4時間という長さを感じさせないおもしろさ。
最初から最後まであっと言う間です。
南部の壮大な農場→アトランタの街→南北戦争の北軍からの逃避行→戦争後の生活、と舞台や背景もかわり、ストーリーも壮大なので、最初から最後まで退屈することなくすみずみまでおもしろいです。
逃避行中の、爆薬が爆発する中を逃げ惑うシーンは迫力満点んで、圧巻です。
原作も映画に負けず劣らずおもしろい
「風と共に去りぬ」は大好きな映画で、若い時には原作も読みました。
長編小説なので、確か文庫本で全部読むと5~6巻くらいだったかと思います。
ながーいお話ですが、好きなお話だし、先に映画を見てストーリーも知っているくせに、全部読めてしまいました。
映画はほぼ原作のイメージに近いと思います。
「風と共に去りぬ」は色彩がおしゃれ
1939年公開のアメリカ映画ですが、白黒映画からカラー映画になったころのテクニカラー方式と呼ばれるカラー映画です。
天然の色彩ではなくて、人工的につけた色なのですが、それがかえっていい雰囲気になっています。
今のカラー映画とは色が違い、それがレトロでおしゃれな感じになっていて、それもこの映画の魅力の1つです。
スカーレット役の女優が決まらないまま撮影開始
「風と共に去りぬ」では、スカーレット役の女優さんの選考が難航。
オーディションするものの(オーディションを受けた中には、キャサリン・ヘップバーンなんていうビッグネームも!)イメージに合う女優さんが見つからず、女優不在のまま撮影が開始されたのだとか。
(見つからないままやったら、どうするつもりやったんやろ)
結局、撮影を見学に来ていたヴィヴィアン・リーがイメージにぴったりということで、スカーレットに選ばれたそうです。
確かに、スカーレット=ヴィヴィアン・リーというくらい、ぴったりの配役です。
主演のヴィヴィアン・リーもスカーレットがお嫌い?
ヴィヴィアン・リーが映画の撮影途中で
「こんなメス犬のような役はできない」
と降板しようとしたのも納得するくらい、スカーレットは嫌な女です。
冒頭では、男の気を引くために、両家の子女なら昼間は着ない肩を出すドレスを着て、昼間の集まりに出かけたり、言い寄ってくる男たちの気を引くようなことを言ったり。
婚約者がいようといまいとおかまいなく、若い男たちをまわりにはべらかすのが好き。
ハリウッド女優スカーレット・ヨハンソンの名はスカーレットにちなんで
「アドベンチャーズ」「キャプテン・マーベル」「ルーシー」など、数々のヒット映画に出演しているハリウッド女優のスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansso)の名前は、スカーレット・オハラにちなんでつけられました。
実際にスカーレットみたいな女がいたら、絶対に嫌われる(映画の中でもメラニー以外の女子には嫌われている)はずなのに、なぜ嫌いにならないのか。
こんなに嫌な女なのに、なぜスカーレットを好きになるんだろう。
どれだけ嫌な女か、冷静に考えてみます。
ここから少しネタバレも含みます。
スカーレットの嫌なところ
こんなに嫌なところがあるのに、どうしてスカーレットを好きになっちゃうんだろう。
とにかくみんなにモテていたいスカーレット
スカーレットはアシュレーが好きなのですが、それでも他の男子の気も引いておきたい。
婚約者がいる男子の気も引いておきたい。
だから誰にでも気があるそぶりをします。
当然、映画の中でも女子たちに嫌われています。
アシュレーへの想いはほとんどストーカー?
スカーレットは、とにかくアシュレーが好き。
アシュレーがメラニーと結婚すると聞くと
「アシュレーが私の気持ちを知らないからだ。
私がアシュレーを好きだと知れば、メラニーとは結婚しないはず」
と考えてしまう、桁外れの自信家。
一歩間違えば、危ない人。
ほとんどストーカーの心理かも。
アシュレーに告るもはっきりとフラれ、癇癪を起して花瓶を壁に投げつけて割ります。
普通はフラれて悲しく泣くところですが、スカーレットは激怒。
フラれた腹いせに、好きでもないのにメラニーの兄と衝動的に結婚
アシュレーにフラれて激怒したスカーレットは、その直後、腹いせにメラニーの兄と衝動的に結婚。
夫はすぐに南北戦争で戦死。
17歳で未亡人となったスカーレットは、もともと夫のことを愛していなかったので、たいして悲しむこともなく、死んだ夫に腹を立てる始末。
妹の、羽振りがいい許嫁を奪い取る
南北戦争ですっかり没落したスカーレットの実家。
農場も手放すはめになりそうなときに、スカーレットの妹の許嫁が街で商店を営んでいて羽振りがいいと聞くや、その許嫁を奪い取り自分が結婚。
夫のビジネスセンスがいまいちだと思うや否や、自分が経営参加。
お金のためなら容赦なく、囚人は安く使えると言って、こき使ったりします。
そしてスカーレット、これらのことに良心を傷めるということはありません。
メラニーが亡くなったときに、よっしゃ!と一瞬思ってしまう
もともと病弱だったメラニーが亡くなり、1人残されたアシュレー。
いよいよ私の出番!とばかりに、アシュレーに走り寄るスカーレット。
そこでアシュレーがメラニーを愛していて、それはメラニーが亡くなっても変わらないと知ります。
と、同時に自分が本当に愛していたのはレットだと気付くスカーレット。
思い込みが激しすぎて、自分の本当の気持ちにも気づけなかったという。
ここは、哀れなんだけど、ちょっとかわいそうでもあります。
スカーレットの憎めないところ
これだけ嫌なところがあるのに、なぜ憎めないのかも考えてみました。
アシュレーが好きすぎて、命がけで約束を守る
スカーレットとメラニーがアトランタにいたとき、北軍が迫ってきたので町中の人たちは逃げ出す中、メラニーが産気づきます。
逃げる気でいたスカーレットは怖気づきますが、アシュレーからメラニーのことを頼まれていたために、残ってお産を手伝います。
産気づいたメラニーのためというより、大好きなアシュレーにメラニーを頼まれたからという理由。
ちょっと健気。
ある意味純粋。
思い込んだらまっしぐら
アシュレーが好きと思えば、その想いにまっしぐら。
南北戦争後に没落した実家で食べ物もない生活になると、二度と飢えるもんか!とお金の亡者へ。
とにかくスカーレットは思い込んだらまっしぐら。
自分の信念を貫き通します。
何があっても人生をあきらめない
失恋→衝動的に結婚→17歳で未亡人→南北戦争で実家没落&父は認知症に。
通常、このあたりで、もう人生をあきらめて、飲んだくれですさんでしまってもおかしくないかもしれませんが、スカーレットは違います。
スカーレットは飲んだくれず、すさまず、あきらめず。
立ち上がるためなら、なんでもやるという心意気。
すごい!
映画のラストで、スカーレットは本当に絶望の淵に立たされるのですが、それでも負けずに立ち上がろうとするスカーレットの姿で終わります。
これだけ嫌な女なのに、スカーレットのことを嫌いになれないのは、困難な状況でも自力で何度でも立ち上がる強さが、並大抵じゃないからだと思います。
嫌な女なんだけど、とにかく何度でも立ち上がるところが好きなのかなあ。
次々と男を乗り換えるけど、結局、男に頼る生き方ではないし。
そこも好きです。
でも実際に、こういう人が家族にいたらしんどいだろうなあ。
彼氏を取られたりするし。
友達にもなれないかも。
それこそメラニーのような、なんでもいいほうに取ってくれる善人じゃないと付き合えないタイプかも。
この映画見ると、自分のありのままで、好きなように生きたい!生きていこう!と思います。