映画「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」を見てきました。
ペギー・グッゲンハイム(1898年~1979年)という、芸術家たちのパトロネスとして、芸術家たちの生活を援助したり、第二次世界大戦中には、ナチスに退廃芸術として破棄されていた大量の抽象画を、アメリカへ輸送して守った人のドキュメンタリー映画です。
彼女はもともとはアメリカの大富豪の娘だったのですが、奔放な性格でアメリカの一族と折り合いが悪く、自由を求めてヨーロッパへと出たのでした。
落ち着いた先のパリで、さまざまな芸術家たちと知り合い、その後ロンドンで画廊を開き、数々の芸術家たちを表舞台へと送り出しました。
こういう映画のあらすじの紹介を見て「おもしろそう」と思って見に行ったのですが。。。。
(以下、ちょっと愚痴っぽいのでご注意ください。)
ペギー・グッゲンハイムの自伝もあるようです。
もうちょっと、他の描き方はなかったのか
もうすでに亡くなっているので、彼女の生前の映像、写真、インタビュー音声、彼女を知っている人、取材をした人たちの証言が次々と出てきます。
ちょっとそれが単調に感じました。
俳優のロバート・デニーロは両親が芸術家で、その両親もペギー・グッゲンハイムから援助を受けていたと証言するところだけは
「へぇ。ロバート・デニーロってそうだったんだ。」
と驚いたくらい。
うーん、ごめんなさい。
映画じゃなくて、テレビで見たほうがよかったかも。
やたらと「性に奔放だった」を強調するのにうんざり
やたらとペギー・グッゲンハイムが性に奔放だったと強調するのも、鼻につくというか悪意を感じるというか。
彼女自身もそのことは大っぴらにしていて、自伝で関係を持った芸術家たちのことを赤裸々に書いたそうです。
でも、ここがちょっとお粗末というか。
いろんな芸術家たちと恋愛を重ねた、という話なら美しさがあるのですが。
関係を持った芸術家たちが口をそろえたよに
「でも1回だけだから」と言い切る。
ペギー・グッゲンハイムのインタビューでも、たいていの男性とは特に恋愛関係だったわけではなく、ただそういうことをした、という感じ。
芸術を愛した人にしては、個人的には美意識が足りないなあとがっかりしました。
それに「自由な女性の”荒れた”見本」という映画のキャッチコピーもなんだかなあ。
映画の中では奔放な男性は非難されないのに、女性の彼女は非難されたと同情しているようなナレーションを流しておいて、この”荒れた”というキャッチコピーはないよなあと矛盾を感じました。
もうちょっとペギー・グッゲンハイムに愛情を持って描いて欲しかった
どうしようもなく、欠点の多い人だったかもしれませんが。
映画のキャッチコピーが
「魅力的な世間知らず。自己顕示欲のかたまり」
なんですが、映画ならいつだって自己顕示欲のかたまりでも愛すべき人物というふうに描かれるから、この映画もそうなのかと思いきや、そのまんま。
ただただいやな人に描かれている感じ。
見た後、なんとも嫌な気持ちになる、すっきりしない映画でした。
映画にするなら、もうちょっと何か他に描きようがなかったのか。
ペギー・グッゲンハイムを、ただこき下ろしたかったのか?
こき下ろすつもりだったとしても中途半端。
事実を客観的に描いたというのだったら他のドキュメンタリーに比べて、なぜこんなに退屈だったのだろう、と不思議に思った映画です。
なんかちょっと悔しいので、私が見た面白かったドキュメンタリー映画を5つを紹介しています。