岐阜県の根尾谷(ねおだに)にある淡墨桜(うすずみざくら)をご存じですか?
樹齢1500年以上(2000年という説もあり)の、立派な荘厳さも感じさせる大木の桜です。
今から1500年以上前といえば、奈良時代よりもっと前。
古墳時代か、もしかしたら弥生時代や縄文時代から咲いていたかもしれない桜です。
淡墨桜って、どんな桜?
淡墨桜は日本三大巨桜のひとつ。
日本三大巨桜とは、1922年10月12日に国の天然記念物に指定された5つの桜、いわゆる「日本五大桜」の中で、樹齢1000年を超える3つの桜のことで、福島県田村郡の三春の滝桜(みはるのたきざくら)、山梨県北杜市の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)、岐阜県本巣市の根尾谷の淡墨桜(ねおだにうすずみざくら)を指します。
淡墨桜は樹高16.3m、枝張りは20m超えの大きさで迫力満点。
つぼみの時には桃色、開花すると白色、散り際に淡い墨色をおびてくるそうです。
その美しい色の変化も、魅力のひとつ。
種類はエドヒガンザクラ。
淡墨桜にまつわる伝説
今から1500年前。
皇位継承の争いに巻き込まれた男大迹王(をほどのおおきみ)こと、後の継体天皇(けいたいてんのう)は、生後50日で難を逃れるために養育係の夫婦に託され、尾張一宮(愛知県)で難を避け、さらに美濃の山奥に隠れ住むなどして成長します。
29歳のとき長年住んだ板尾谷を去ることになり、村人たちととの別れを惜しんで、桜を植えたとされています。
(※男大迹王(をほどのおおきみ)については、母・振姫の故郷、越前国高向(福井県)で育てられ、5世紀末ごろに男大迹王(をほどのおおきみ)として、越前地方(近江地方という説もあるそうです)を統治していたという説もあります)
大正時代から昭和初期にかけて枯死しかける
淡墨桜は、大正時代に大雪で枝が折れ、幹に亀裂が生じるなどしました。
地元も保護に努めていましたが、昭和23年ごろにはついに枯死か、という状態に。
そこで保存会が設立され、岐阜の医師・前田利行氏や大工など数名で、27日間におよぶ淡墨桜の補修作業がおこなわれました。
土壌を掘り起こし、根についたシロアリを駆除、近くの山の山桜の若根を、根接ぎしていきました。
根接した数は、およそ238本。
作家・宇野千代さんも淡墨桜の保存に尽力
宇野千代さんは、作家です。
私はこのエッセイが好きです。
小説だと「おはん」が有名かと思います。
昭和42年、作家の宇野千代さんは淡墨桜を見に訪れたとのこと。
そのときの淡墨桜は、昭和34年の伊勢湾台風の被害を受けたままの無残な姿だったそうです。
その姿を見た宇野千代さんは当時の岐阜県知事に、淡墨桜の保存を訴えます。
これにより、さっそく淡墨桜の保存活動がはじまり、国や県から補助金が交付されるようになりました。
宇野千代さんは「薄墨の桜」という小説も書かれています。
私は宇野千代さんが、エッセイの中で淡墨桜について書かれていたのを、昔読んだ記憶があります。
淡墨桜の保存に一生懸命になり、桜をモチーフにした着物もデザインされたようです。
実際に淡墨桜を見た感想、淡桜墨へのアクセスなどは、こちらをご覧ください。